G4のjazzblog

ジャズに人生の半分を捧げた、ノーフレンドオッさん

心臓を捧げよ、ジャンゴへ。

「For Django 〜ジャンゴに捧ぐ」

 

ジャズギターの偉大な先駆者ジャンゴ・ラインハルトへの敬意を表した、ジョー・パスの作品である。

 

しかしこれは思い切った事をしたものだ。

 

ジョー・パスといって作品が即思い浮かぶ方は相当な通である。僕なんか精々この作品か、パブロの「Virtuoso」くらいである。

 

そんな彼がジャンゴ作品に挑むのはハッキリ言って身の程知らずだ。

 

「お前は一体何を言ってるんだ!!」と諸先輩方からお叱りを受けるのを承知で進めたい。

 

ジョー・パスは確かに上手い。「For Django」の「Nuages」や「Django's Catsle」といったジャンゴの自作曲を軽妙にまとめてるし、「Limehouse Blues」といった難曲を上手テクで難なくこなしている。

 

ただ彼には「覚悟」が足りない。

 

麻薬中毒で30才と少し過ぎるまで、シナノン刑務所で人生を棒に振り、復帰して数年後の1965年にこの作品を手がけているが、「何でギターが2人のクァルテットやねん!!」と突っ込まずにはいられない。

 

ジャンゴみたく、相方はステファン・グラッペリのような主楽器を据えながらも「俺はただのリズム楽器じゃねーよ?」という根性を見せて欲しかった。

 

ジョン・ピサーノとかいう聞いた事のないギタリストを相方を囮にし、ジャンゴに挑もうとする自信の無さを誤魔化そうと画策した、としか思えない。そんな感じが音に出ている。

 

散々こき下ろしたが、要は本気を出して欲しいのだ。これだけの技術があればケニー・バレル級に人気もついてきたはずなのに。ホントもったいない。

 

でも一曲目の「ジャンゴ」は聴いてもらいたい。訥々とプレイするベースとドラム、またパシフィックジャズらしからぬ良録音が、MJQ版よりもワンランクもツーランクも聴かせる演奏に仕上げている。

ニューポートへ行きたいか〜!?

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ハッキリ言ってコルトレーンが好きだ。無茶苦茶カッコいい。エコ贔屓に心酔しているレベルだ。

 

僕のジャズ部屋には特注でこさえた造り棚がある。その中央に、コルトレーンがサックスを吹き上げる写真を表紙にした中平穂積氏の「Jazz Giant 1961-2002」が鎮座している。

 

ホントカッコいい。

 

ご多聞に漏れず、「名盤100選」や「ジャズ入門」からジャズを勉強し始めた僕は当然コルトレーンを真っ先に知る。

 

そうして買ったコルトレーン一枚目はブルーノートの「Blue Train」だった。メロディアスとは言いがたいハードなジャズだが、他のハードバップと違い何故か妙に引き付けられるものがあった。

 

当時は「モーガンのラッパがこのアルバムの核だ!」なんて本気で大真面目に思ってた。ホント恥ずかしい。

 

さて、コルトレーンは数多くのアルバムを発表しており、その辺の有象無象を軽くケチらすようなホンモノの内容ばかりだ。

 

その中でも1963年に録られた「My Favorite Things:Coltrane At Newport」を僕は推す。以前はサイケなジャケットが最高にイカしている「selflessness」が有名だった。

 

この日のニューポートの天候はお世辞にも快晴とはいかなかった。だが、司会のアナウンスからコルトレーンがスッ・・とテナーを鳴らす。

 

雲の切れ間から光が差し込むが如く名曲「I Want To Talk About You」。58年「Soultrane」版と比べて幾分かテンポが速い。

 

ドラムのロイ・ヘインズの影響だろう。ドラムの引き締まった音も相まってバラード特有の甘さには流れない。

 

圧巻は中盤からのコルトレーンのテナーソロ。6分15秒からの約3分。目を閉じて聴き入ってしまう。

 

そうしてすぐに待ってましたの「マイフェイバリット」。テナーでちょっとテーマをブリっと吹いてすぐにソプラノに切り替えるのがなんだか微笑ましい。

 

この後もブリブリと吹きまくり、そのままこちらも名曲「インプレッションズ」を20分吹きまくる。

 

休日に嫁さんと子供が出掛けると、僕のオーディオゴールデンタイムが始まる。意を決し僕はアンプの目盛りを9:30まで上げる。ご近所迷惑スレスレのライン。コルトレーンが眼前に現れる。

 

コーヒー片手に優雅なひととき。こういう時ビールをグイッといければ、1963年のあの頃のニューポートにトリップ出来るのにー、と常々思ってる。

 

唐突だがビールが苦手だ。何故なら大学時代の飲み会で、一気したビールを好きな娘のマフラーに誤ってリバースして泣かれたからだ。(実話)

 

この話をすると大抵の人は酒を勧めなくなるのでホント助かっている。

コニッツの本気がここに。

Subconscious-Lee

Subconscious-Lee

Amazonコニッツ程好き嫌いが明確に出るアーティストも少なくないのではないか?初期はクール系の括りで音が似ているスタン・ゲッツと比較されやすい。

 

1950年初め頃の音やフレーズは似通っており、「兄弟だろ、こいつら」みたいな雰囲気を醸し出している。

 

だがゲッツとコニッツは歳を重ねるにつれ、人気も演奏スタイルも逆相関になっていった。

 

もちろん人気がないのはコニッツである。

 

ゲッツは麻薬でお縄になったり、ボサノヴァをいち早く取り入れて「Desafinado」を100万枚のヒットへ導いたり波瀾万丈でいかにも「ジャズ」らしい。

 

対するコニッツだ。彼はジャズをやってない。いや、やってはいるのだが「ジャズ」になっていない。

 

偏見マックスで言うと、コニッツは「メリハリ」「盛り上がり」「感情の高まり」といったジャズ特有の要素が不足しているのだ。

 

ずっと聴き続けていると単調で眠くなる時がある。車の運転の際BGMで流した時は事故になりかけた事があるくらいだ。

 

そんなコニッツを僕は一曲だけ手放しで褒めたい。「Subconcious-Lee」の「マシュマロ」だ。

 

フワフワ浮いて掴みどころのないクール系特有の空気はここになく、コニッツを筆頭に全員がこの一曲だけ奇跡的に纏まっており、最初から最後まで聴かせる演奏になっている。「流麗」そのものだ。

 

もちろん1949年の演奏で音質はお世辞にもいいとは言えない。しかしながらデンジル・ベストの踊るようなブラシさばき、コニッツの煌めくようなアドリブに注目して欲しい。

 

ふと思う。こんなキレのあるアドリブ出来るなら「いつもヤレ!」と。このアルバムからコニッツに入った僕は、その後ごく一部を除いて何枚スカをつかまされたか分かったもんではない。

 

 

 

 

 

 

 

気楽なアガルタ(パンゲア)

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Amazonマイルス・デイビスの「アガルタ」「パンゲア」は長い。

 

マイルス芸術の頂点、もしくは最高峰。その言葉に間違いはないけど長くて聴き続けられない。ダレるのだ。

 

だって演奏時間見て下さいよ。一曲40分〜60分って。現代社会に生きる我々にはしんどすぎる。

 

最近の若者は音楽の前奏が長いと聴かないらしい。この事について米国オハイオ州立大学の院生の研究結果が面白い。

 

ビルボードトップ10の曲の前奏時間が1980年代は平均20秒あったのに対し、2000年代は5秒しかないんだと。

 

確かに昔よく聴いたB'zやGlayに比べ、米津玄師やado、優里といった最近のアーティストのイントロはないに等しい。

 

話が逸れたので戻そう。最初に話したアガルタやパンゲアの代わりに僕は菊池雅章の「Susto」を好んで聴いている。

 

4曲で約50分。長いのでも一曲15分いかない程度。まあこれでも長いかも(笑)

 

ただし「Susto」には良い意味での「軽さ」がある。80年代のクールさが心地いい。

 

実際はフュージョンっぽくてちょっと違うかもしれないけど、ファミコンのサスペンスや推理BGMみたいなノリが40代の世代ど真ん中の僕にはしっくりくる。

 

これならYouTubeでよく見る作業用BGMみたいに聴き流せるんじゃないか?若者も毛嫌いしないで聴いてほしい。もちろんパンゲア・アガルタに挑むのは大歓迎だ。

ボヘミアの夜は更けていく・・

 

 

只今夜の11時。寝落ちしてるのを嫁さんに起こされ、風呂上りのまったりタイム。夜中までは間もなくというところ。

 

僕の住む街は県庁所在地の駅から一駅のところ。だが駅前にも関わらず、静かだ。飲み屋もない。つまりは田舎である。100m先の踏切の音が微かに窓辺から聞こえてくるだけである。

 

ここは退屈な街だ。東京が恋しい。

 

20代の頃は練馬の安アパートに住み、日銭を稼ぐ為に池袋のパチンコ屋や漫喫で働いていた。

 

稼いだお金は、池袋北口やパチンコで溶かしたり、ジャズを買い漁ったりで手元に残らずに家賃を滞納。アパートを追い出されそうになった事もある。

 

側からみれば、カッコ悪い20代を過ごした東京時代だが嫌な思い出は少ない。「ぼっち」だったけど、アングラで退廃的な雰囲気を持つ東京の街は何故か僕に合っていたのだ。

 

さてこの頃はジャズ収集を始めて3年程度、CDはまだ100枚ちょっとだったと思う。

 

数が少ないと聴くものは自然に限られてくる。東京でも静かな夜はあったけど、そんな時はケニー・ドーハムの「Round About Midnight At The Cafe Bohemia」をよく聴いていた。

 

ドーハムは「Quiet Kenny」が有名だが、個人的にはこちらに軍配が挙がる。このアルバムはジャズのエッセンスがギュッと閉じ込められている。

 

「Round Midnight」や「Autumn In New York」といった有名スタンダードから、本人作曲の「Monaco」や「Tempus Fugit」の改変「Mexico City」等楽曲のバランスが絶妙である。

 

飽きのこない変則セクステット構成と、ハードバップど真ん中1956年のいぶし銀ドーハムの哀愁がピタリとハマっており、小音量で流しても聴けてしまうのだ。

 

だが残念な事に良いジャズを聴いてるとアンプのボリュームが自然に上がってしまう。深夜0時、ご近所から通報されて警察からお叱りを受けたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

サックスが壊れる〜!!

 

 

ティーブ・グロスマンの「Born At The Same Time」はテナーでも最高峰の一つだ。そう言い切れる。

 

よく漫画「Blue Giant」の宮本大のテナーは実際どんな感じだろう、と考える事がある。

 

ロリンズ?コルトレーン?はたまたグリフィン?誰が合うかな〜と考えるのファンの楽しみであり、特権でもある。

 

僕はグロスマンを大いに推す。「キレとスピードのあるプレー」「壊れそうなテナーの咆哮」「どこまでも上がるキー」こんなところが、大の特徴と一致している。

 

グロスマンはマイルス・デイビスエルビン・ジョーンズの諸作で頭角を現した人だ。

 

特にエルビンの「Live At The Lighthouse」でのプレーは圧巻の一言。兄弟のようなデイビッド・リーブマンとのブリブリっとした掛け合いはコロナ禍の鬱憤を吹き飛ばさんばかりにトリップさせてくれる。

 

また、アルバム内で流れる、エルビンの誕生日を祝うハッピーバースデーを僕自身の誕生日のバックで使って嫁さんと息子をドン引きさせたりと、ネタには事欠かないアルバムである。

 

脱線したので話を戻そう。グロスマンの前期のプレーはコルトレーンの様なメカニカルな激情とクールさを併せ持っており、コルトレーン好きには堪らない。

 

だがグロスマンは僕達の期待を大きく裏切る。コルトレーンライクと言ってもそれはプレー面の話。

 

残念な事にリーダー作は勿論の事、マイルスの諸作含め、やってる音楽は「ファンク」が大半なのだ。「アホー!!そうじゃないだろー!!」と思いっきり罵りたい。

 

そんなグロスマンの前期唯一の純シリアスジャズがこれなのだ。

 

聴いてもらいたいのは名曲「A Chamada」。9分もの長尺だが、ピアノソロもベースソロもない。グロスマンが1人只々吠えまくっている。

 

聴き流すなんて事は出来ない。目を閉じれば宮本大のプレーが見えるようである。

 

こんな凄いグロスマンも80年代後半以降になれば凡百のプレーヤーに成り下がる。この手のハード系プレーは維持し続けるのは本当に難しい。

ちょっと引っ込んでもらえないか?

 

バード・ブロウズ・オン・ビーコン・ヒル

バード・ブロウズ・オン・ビーコン・ヒル

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「Byrd Blows On Beacon Hill」のドナルド・バードが嫌いである。

 

いつも思う。素人が吹いたような音色に、練習曲のようなフレーズ。特に3曲目の「People Say We're In Love」の締め部分でフラフラ掠れまくりで酷いったらない。

 

周りのサイドマンがシンプルながらツボを突いた演奏で盛り立てようとする中、オモチャのラッパを吹いている感じでギャップが凄い。ホント引っ込めの一言である。

 

誤解しないで頂きたいのは、僕はブルーノートの諸作は大半持っており、特に「Byrd In Flight」や「Bryd In Hand」なんかは大好物だ。

 

一体どうしたことかと頭を巡らせれば、レーベルのせいなのだ。ジャズには似つかわしくない街ケンブリッジで興された短命レーベル「Transition」だからだ。

 

ケンブリッジ?ああ、あのケンブリッジ大学があるところね。」と思ったあなた。ケンブリッジケンブリッジでも、大学があるのはイギリス。こちらは米国マサチューセッツ州ケンブリッジなのだ。

 

ちょっと検索をかけても、この街で他にビッグレーベルもなければ、名盤もない。そして街の雰囲気がもろ「イギリス」である。

 

この雰囲気がバードの演奏を駄目にしている。ジャケットを見ればわかるでしょう。ポーズを決めちゃって「カッコつけてる」のだ。

 

カッコつけジャケットと幻の名盤煽りでこのアルバムを買わされた同志は何人いることか。「悔しい」の一言である。

 

僕は、ジャズは米国の音楽だと常々思ってる。前回紹介した日本の「TBM」やドイツの「MPS」など素晴らしいレーベルは星の数だが、やっぱり米国に戻ってくる。

 

でもよくよく調べればこのレーベル、ブルーノートで版権買いしたルイス・スミスの「Here Comes」を録っている。キャノンボール・アダレイも変名で参加しており、名演「Tribute To Brownie」が収められているのだ。

 

うーん、僕のセンスはあてにならん(笑)