G4のjazzblog

ジャズに人生の半分を捧げた、ノーフレンドオッさん

ビッグバンド嫌いに待った!!

皆さんビッグバンドは聴きますか?

 

ジャズのビッグバンドで思い返す事といえば、デューク・エリントンカウント・ベイシー、もっと古いところでグレン・ミラー・オーケストラといったところか?

 

失礼承知でこれらの音楽は「古くさい」と断言する。ビッグバンドは禁酒法時代の1920年代に生まれた17〜18人編成の大所帯で構成される。

 

ビッグバンドはその人数にモノを言わせた「音の厚み」や「大音量の迫力」を聴くものである。しかし現代社会に与えられる6畳一間のプライベートルームではそれが出来る人は稀だ。

 

そうした中での小音量で聴くビッグバンドはガッツ不足、野暮、いかにも古臭い音楽になってしまうのだ。

 

ここでそういった問題を一挙に解決出来るバンドがある。1960年代後半からその実力を大きく開花するケニー・クラーク=フランシー・ボランド・ビッグバンドである。米国と欧州の連合軍たるこのバンドは、ビッグバンド特有の「古臭さ」「臭み」を最初に消したバンドだ。

 

彼らの特徴は、欧州由来のクラシック並びに現代音楽の要素をスパイスとして取り入れた事。また、録音技術の向上でビッグバンドにありがちな全ての音がまとまってしまうといったデメリットが無くなり、一つ一つの音がクッキリ前に出て来た事だ。

 

それにより小音量でも充分聴けるレベルに昇華されているのだ。クラーク=ボランド・バンドはほとんどの作品をお薦め出来るが、僕は1970年録音の「Off Limits」を推したい。

 

この作品ではビッグバンドには珍しいエレクトリックピアノが使われており、異音ともいえるこの楽器が全体を引き締めている。

 

一曲目「Wintersong」。全然冬感ない。変態サックス奏者ジョン・サーマンによる作曲でかなりカッコ良く仕上がっている。カウボーイビバップのOPテーマと入れ替えても違和感ないだろうというのが適切な例えか?

 

ベースのジミー・ウッドとドラムのケニー・クラークといった手練れによるクールなリズムが他の楽器と比べ一歩前に出てるので、小音量でもその躍動感は失われない。

 

ホーン群は言わずもがなの中堅精鋭で固めており、目を見張るソロはないが醍醐味のアンサンブルはバッチリ決まっている。

 

皆さんにも是非聴いてもらいたい。

 

ところで、先程挙げた6畳一間は僕の部屋の事である。だが僕は周りを気にし微調整するような小賢しい事はしない。今日もあんぷの目盛りを元気に9時までグイッと上げる。僕のソニーG4は今日も絶好調である。

 

WINTERSONG

WINTERSONG

  • クラーク=ボラン・ビッグ・バンド
  • ジャズ
  • ¥255

 

 

神への道を歩むコルトレーン

どうしてこうなった。

 

僕は今コルトレーンの「Live At The Village Vanguard Again!」を聴いて頭を抱えている。

 

コルトレーンは元来ジャズに対して生真面目、悪くいえば面白みのない人間だが、今作の神へ極端に傾倒するような異端さは持ち合わせていなかったはずだ。

 

僕の大好きな「Blue Train」はメカニカルながらも実直で真っ直ぐなプレーだった。その3年後コルトレーンは名盤「My Favorite Things」を出し始めた頃からきな臭くなってきた。

 

さらに4年後、天下の迷盤「至上の愛」でアッチの世界へフライハイ。今作では別世界の人となった。「完全」に行った作品はまだ他にもあるが、それはまた別の機会に・・

 

今作は同じ場所で1961年に録られた「Live At The Village Vanguard」の再演盤である。とはいえ曲目も面子も全く違う。それ以上に肝心のプレーが別物だ。

 

一曲目の「Naima」。コルトレーンオリジナルの名バラードだが早速異変が起きる。いつものように妙なる旋律に聞き惚れていると、その後のソロで突如ノイズが混じる。

 

ファラオ・サンダースである。神の化身みたいな名前をしながら、やっている事はほぼお遊戯。ジャズ研一年目のド素人がガムシャラに吹けば出来るようにも思える(失礼!)

 

当然ファラオのプレーは技術的なテクニックがあるのだろう。だが素人の僕には良さがわからない。何度聴いても「???」の域を出ない。

 

対するコルトレーンはどうだろう。後期コルトレーン特有の「叫び」に一瞬戸惑うが、何故か聴けてしまうのだ。神への信仰を歌いながらも、過去からの「蓄積」がただのフリープレーになっていない。

 

こうして聴いていると後期コルトレーンが敬遠される理由がわかった気がする。コルトレーンの音楽性は勿論だが、周りのサイドメンが特に駄目。

 

その中でもドラムのラシッド・アリが本当に酷い。ここまでの流れでファラオだと思ったあなたには残念賞を贈りたい。

 

ラシッド・アリはビル・ディクソン、ポール・ブレイといったアングラ界隈で名の通ったプレイヤー達と共演をしている。フリーの大御所である。

 

本人はイスラムに帰依しており、そのせいもあってかプレーも独特、リズムも複雑多彩だ。だがこのプレーが曲者だ。

 

二曲目の「My Favorite Things」のホーンプレイヤーのソロに入ってからのアリをを聴いて欲しい。何とホーン奏者やピアノの後ろで「わちゃわちゃ」しているだけなのだ。何か深いものがあるのかと耳をそばたてるが何もない。

 

対するコルトレーンは以前紹介した1963年のニューポートのライブ盤のように絶好調だ。後ろのドラムを外せばいつものコルトレーンである。

 

晩年エルビン・ジョーンズを手放したのはコルトレーン最大の失敗だ。もしやすると奥さんアリスの入れ知恵かもしらん。ジャケットのアリスを見て欲しい。旦那の前で他の男と手を繋いでるのを見ると、そんなゲスの勘ぐりの一つも出てこようというものだ。

 

やっぱりコルトレーンは神でも何でもない。その生真面目さが故に、色々ちょっとおかしくなっただけなのだ。

 

John Coltrane / Live At The Village Vanguard Again!

 

1.Naima

2.Introduction To My Favorite Things

3.My Favorite Things

 

Tenor Sax : John Coltrane

Tenor Sax : Pharaoh Sanders

Piano : Alice Coltrane

Bass : Jimmy Garrison

Drums : Rashid Ali

 

Recording:1966/5/28



 

 

 

 

 

 

 

ハードバップの終焉と最後の輝き

ハードバップの頂点はいつか?

 

これには賛否がある。「Saxphone Colossus」の1956年、「Moanin'」の1958年、時代の移り変わりを感じる「Giant Steps」を収録した1959年と人それぞれだと思う。

 

ハードバップはマイルスが宣誓した「Walkin'」の1954年からブルーノートの4000番台中頃が収められている1960年頃までと考える向きが多い。

 

それ以降はファンキー・モードの後にソウル、フリー、新主流派等の時代を経てジャズは一旦その幕を閉じる事となり、1960年後半に時代はフォーク及びロックへと一気に傾倒する。

 

いかにもなジャズのお勉強コーナーになってしまった事をお詫びしたい。

 

ではハードバップの終焉はいつか?

 

僕は1960年を推す。ハードバップの終焉を飾る名作を数多く記録した年だ。僕はその中でもアート・ブレイキーの「A Night In Tunisia」がそれを象徴していると思う。

 

一曲目のタイトル曲、ブレイキーのドラムソロが終焉の始まりを告げる。ドラムとベースの緊張ある掛け合いの後、ガシャガシャし出したら通常合奏で入るテーマ部分をピアノがリード。サックス、トランペットの順でテーマを形作ってゆく。

 

トランペット・サックスの2ホーン通常クインテット編成ながら音のつくりがとてもハードでテンションも高い。とても5人のバンドとは思えない。

 

特にモーガンのトランペットが異次元だ。艶やかさでは58年の「Candy」や「Moanin'」に譲るが、それ以外のフレーズのキレ・スピード・構成と全ての面で上回っている。早撃ちの名手のベストプレーの一つだ。

 

相方のウェイン・ショーターも忘れてはいけない。この後開花する実力が垣間見受けられる。特に最後のカデンツァでのソロはハードバップの枠を簡単に飛び越えており、圧巻の締めに一役買っている。

 

天才小僧のリー・モーガン新主流派の黒魔術師ウェイン・ショーターの1960年における「過去」と「未来」の交錯が、ハードバップという形態の終焉を表しているという僕の理論はあながち間違いではないと思う。

 

これだけの名演を収録しているにも関わらず、この大名盤はイマイチ人気がない。見たら納得、アルバムジャケットのクソダサいタイポグラフィの羅列。デザイナーであるリード・マイルスもこの時ばかりは手を抜いたに違いない。

 

「真面目に仕事しろ」

 

話は変わるが、昨日参院選で圧勝した自民党に同じ言葉を贈りたい。日本という世界に誇れる最高の材料を良くも悪くもするのはこれからの彼ら次第。

 

願わくば「A Night In Tunisia」の二の舞にならぬよう祈るばかりである。

 

Art Blakey / A Night In Tunisia

 

1.A Night In Tunisia

2.Sincerely Diana

3.So Tired

4.Yama

5.Kozo's Waltz

 

Trumpet : Lee Mogan

Tenor Sax : Wayne Shorter

Piano : Bobby Timmons

Bass : Jimmy Merritt

Drums : Art Blakey

 

Recording : 1960/8/7 ・ 8/14

 

 









 

 

星に願いを

僕は自民党が好きではない。長年に渡り日本をダメにしてきたからだ。

 

モリカケとか桜の会とかはどうでもいい。バブル以降、長年渡り日本を貧しくしてきたから。この一点に尽きる。

 

他先進国と比べ、給与平均が30年前から下がり続けてるのは日本だけである。「バブルの頃の数字と比べるな」といえばそれまでだが、事実である。

 

今回の参院選もそんな思いから与党には入れてない。野党に入れた。現状を変えて欲しいと願っている。

 

つい先日の金曜日、日本を震撼させる事件が起きた。皆さんご承知の発砲事件である。僕は昼休憩で家でご飯を食べていたのだが速報を見て度肝を抜いた。

 

僕は自民党は好きではない。が、元首相の才覚を高く評価しているだけに今回の件は大変残念でならない。

 

元首相は日本の雇用を拡大し、訪日外国人を増やし、外交においては海千山千のドナルド・トランプを相手に上手く行ったところ等、好き嫌いは別として正当な評価を下さなければならないだろう。

 

こんな日はケニー・ドリューの「Kenny Drew Trio」の「星に願いを」を聴きながら喪に服したい。「星に願いを」は1940年に上映されたディズニー映画「ピノキオ」の主題歌である。

 

アメリカン・スタンダードは大概ジャズでも取り上げられるが、この曲に関しては演奏された記録が思いの他少ない。他にはビル・エヴァンスデイブ・ブルーベックくらいである。

 

ケニー・ドリューはこの時まだ27歳。ジャズマンとしては脂が乗り始め、注目され始めた頃だ。バド・パウエルの呪縛はまだ抜け切ってないが、この作品から「打って出てやろう」という真摯なプレーに好感が持てる。

 

1955年はハードバップ隆盛期である。何をやっても様になる「いい」時代だった。

 

「星に願いをかけるとき
 あなたが誰かなんて関係ない
 心の底から願えば
 何でもきっと叶う」

 

僕らの住む今を「いい」時代にする為、元首相に「生き返って欲しい」という思いと、「自民党議席減らせ」という俗な思いが交差している。

 

前者だけはなんとか叶って欲しいと皆思っている。諸行無常と言うが67歳の逝去はまだ早過ぎるのだ。

 

When You Wish Upon a Star

When You Wish Upon a Star





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハードワークモブレー

ハンク・モブレーはミドル級チャンピオンである。」これはハンク・モブレーを表す昔からのジャズ界の伝統フレーズだ。

 

このフレーズを最初にぶち上げたのは、かの有名な評論家兼ピアニストのレナード・フェザーであるが、この評論に僕は待ったをかけたい。

 

「ネームバリュー」という事では概ね賛同出来るが「テナーサックスを吹く力」という感覚で見れば話は別だ。

 

話が少し逸れるが、ミドル級とはボクシングの階級17階級中上から5階級目を指す。ちょっとモブレーに詳しい人ならこれを見て首を傾げると思う。モブレーは精々真ん中ライト級か一個上のスーパーライト級である。

 

ピンと来ないと思うので実際の数字でお見せしよう。ヘビー級のリミットが90.72kg、ミドル級72.57kg、真ん中ライト級61.23kg、一番軽いストロー級で47.62kgである。

 

ヘビー級がコルトレーンやロリンズと言われると、ちょっと下のミドル級にモブレーは入らない。ブッカー・アーヴィンジョー・ヘンダーソンあたりが適任である。

 

モブレーの最も有名な名盤「Soul Station」やヒット盤「Dippin'」を引き合いにすればさらに理解頂けると思う。これらのモブレーは比較的ソフトに大衆受けするプレーをしており、とてもミドル級チャンピオンになるのは難しいだろう。

 

ただ一枚本当の「ミドル級チャンピオン」になった作品がある。それが隠れ名盤「Workout」である。

 

「練習」「トレーニング」といった味気のない訳とは裏腹には、ここでのモブレーは一世一代のプレーを披露する。いつもより苦み走った硬質な音を発しているのだが、これがまた良い。

 

一体何があったのか?普段のサイドマン根性をかなぐり捨てて、「俺もやりゃ出来るんだ!」というところを見せている。

 

サイドがウィントン・ケリーポール・チェンバース、フィリージョーのハードバップ最強トリオで固めてるいるから当然か。

 

これだけのプレーだ。この1ヶ月後、帝王マイルス・デイビスブラックホークでのライブ盤にも参加し好演を披露している。モブレーのピークの一つだろう。

 

タイトル曲「Workout」、普段のほんわかフレーズは影を潜めて別人のようなアドリブを披露している。モブレーをバシバシと叩き締めるのは天才ドラマーのフィリージョー。彼らの邂逅はこんな素晴らしい作品を産み落としたのだ。

 

こんなアルバムを連発していれば名実ともにミドル級チャンピオンになれたのにな〜。ほんと残念でならない。

 

Workout

Workout



Hank Mobley / Workout

 

1.Workout

2.Uh Huh

3.Smokin'

4.The Best Things In Life Are Free

5.Greasin' Free

 

Tenor Sax: Hank Mobley

Piano:Wynton Kelly

Bass:Paul Chambers

Drums:Philly Joe Jones

 

Recorded:1961年3月26日

 

 

暑い日の一服の清涼剤

暑い、暑い、暑い!!

 

夏はまだこれからなのに毎日最高気温を更新している。まだ7月初旬。本日現場で配管作業してたら汗が噴き出て大変だ。

 

こういう時はデスクワークの出来る仕事に就けるよう努力すべきだったと強く後悔している。まあ、悔んでも仕方ないのだが。

 

こんな日は早々に切り上げて家でジャズを楽しむに限る。暑い時のジャズはピアノかギターのデュオやトリオといった小編成で楽しむのがコツだ。

 

間違ってもリー・モーガンジョニー・グリフィンのようなイケイケ系は聴いてはいけない。そんな事をしたら疲れた心と身体が悲鳴をあげるだろう。

 

こういう時こそ黙って白人のジャズを聴く。僕は偏見差別は一切ないが、クールでスマート、癒しの音楽を黒人は出来ないと思ってる。

 

黒人はどんなにめかし込んで白人のように優雅にキメようとしても絶対に「ノリ」や「スイング」が音と音の間に顔を出すのだ。これは黒人の血がそうさせるので仕方がない。

 

黒人で白人のような音を出せるジャズマンがいたら是非教えて欲しい。

 

こんな時は「学者」デニー・ザイトリンにご登場頂こう。彼の名盤「Live At The Trident」のジャケットを見れば一目瞭然、まさに学者顔だ。

 

実際に彼は医者の家系に生まれ、自身もイリノイ大学で医学を専攻。ガチガチのインテリである。

 

インテリの音楽は夏には最高である。これをかければ周りの空気はスーッと引いていく。

 

一曲目の「St Thomas」、あのロリンズの名演とは打って変わって本当の意味で「寒い」。この曲を何で一曲目に持ってきたのか小一時間問い詰めたい

 

この曲を飛ばせば爽やかな曲が多い。僕は特に4曲目の「Where Does It Lead」にゾッコンである。

 

さあ、傾聴してほしい。

 

ゆっくりとした静かなマーチ風ドラムから、森の奥から響いてきそうなベースの深い単音。それに合わせてソッと入ってくるザイトリンのピアノ。

 

1分19秒からフワッと広がるピアノは深い森から抜け出し、満天の星空を見上げるような感覚に陥る。

 

この曲はライブ特有の周囲のノイズ、食器の鳴る音、不意に鳴る電話も合わさり何もかもがパーフェクトだ。

 

個人的にはビル・エヴァンスの「My Foolish Heart」と双肩を並べる。是非聴いてもらいたい。ホラ、聴き終えれば身も心もスッキリする事請け合いだ。

 

Denny Zeitlin / Live At The Trident

 

1.St Thomas

2.Carole's Waltz

3.Spur Of The Moment

4.Where Does It Lead

5.Lonely Woman

6.My Shining Hour

7.Quiet Now

8.At Sixes And Sevens

9.What Is This Thing Called Love

 

Piano:Denny Zeitlin

Bass:Charlie Haden

Drums:Jerry Granelli

 

Recording:195年3月22日〜24日

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィル・ウッズはマシンだ!

フィル・ウッズに会ったことがある。それも手の触れる距離で。

 

僕は20代の頃当時六本木にあった今はなきスィートベイジルで一時勤めた事がある。勤めたというと聞こえはいいが、すぐ辞めたので「居たこと」がある程度だ。

 

スィートベイジルは2014年にその幕を閉じるまで国内外の著名なアーティストを招聘し、六本木を賑わせたライブレストランの名店だ。

 

何でそんなとこに居たかというと、新卒で入った会社が先物取引の会社(こちらも今はない)で、今でいう超絶ブラックなのですぐ辞めた。当時他にやりたい事もなく、大好きなジャズに触れられるというしょうもない理由で勤めたのがスィートベイジルだった。

 

ここでは音響に配属された。当時は野口五郎やはジャズピアニストの松永貴志が出演したのを覚えてる。

 

そんな中、なんとあのフィル・ウッズが出演したのだ。彼は既に晩年を迎えていたがリハーサルで吹いた凄い音は、愛聴盤「Alive And Well In Paris」でシリアスかつ苛烈に吹きあげる若かりし頃の音と全く一緒だった。

 

ウッズはヨーロピアン・リズム・マシーンというバンドを組んでいたが正に「マシン」そのものだった。

 

目の前に憧れの存在が現れ、正直仕事どころではなかったと思う。近くに来た時に浅ましく握手を求めようとしたが、周りに止められ上司にガッツリ怒られたのは言うまでもない。

 

これだけの老舗だ。勤めてる者としてアーティストにプライベート感覚で接しようなど許されるはずもない。今思い返すと恥ずかしい限りだ。

 

さて、本盤はウッズが亡きジョン・F・ケネディに捧げた至高の名盤である。一曲目の「若かりし日」はアルトの頂点の一つと言っても過言ではない。

 

情感たっぷりに想いを乗せて吹き始め、どんどんとスピードとテンションを上げていけば聴いてる方も最高潮!最後のブリッジでブッ壊れるのもご愛嬌だ。

 

よく「オーバー」という表現もされるが、1968年という純ジャズが完全に曲がり角を迎えたこの時代に、これを世に問うたウッズの才能を称賛したい。もちろん他4曲も傾聴に値する。

 

もう時効なので語るが、ウッズのライブでのリハーサル中にこんな事があった。共演の某有名ドラマーが自分の付き人のセッティングに気に入らず、突然シンバルを舞台に投げつけるという場面があった。

 

袖で見ていた僕は、「さすがジャズマンは違うな・・」と驚いたが、それ以上にその様子を見ていた共演者やスタッフは何事もないようにしているのを見て「自分には向かない業界」と思い、その後すぐ退職した。

 

ジャズは家で独り聴くに限る。大好きなアーティストの前で正常でいられるファンはいないのだから。

 

 

Alive and Well

Alive and Well